仕事ではないです・・・もちろん(笑)。一応、電話はつながるようにしますが、できれば期間中(5日〜16日)のご連絡はメールのほうが助かります~。
「海外に行く」というのは、年初に立てた今年の目標の一つに上げていたことです。韓国、ロシアとチャンスは他にもあったのですがどうもタイミングが合わず・・・。最終的にいろいろな方々のサポートをいただき、今回のブラジル・ペルー旅行が実現しました。
「なんでブラジル?」
「ん?地球の裏側に行ってみたいから!」
ブラジル連邦共和国様には大変申し訳ありませんが、ブラジルにどんな観光名所があるのかも知らず、ただただ地球の真裏に行ってみたい!ホント、そんな理由でして・・・。でも、地球上で考えれば、ここ(日本)から最も遠い場所ってことになるわけで、一度、そんな場所に行っちゃったら、他のどこに行くにも真裏よりは近いと思えるのではないかと・・・。ま、ホント、そんな理由でして・・・。
それなりにお金もかかるわけですが、石川コーチには「経験に勝るものはありませんから!」と言われ、「そうですよね~!」と俄然ウキウキする私・・・。まあ、たしかに、私はヒューマンスキルとパーソナリティーで仕事をしているので、私の見聞が仕事の幅を決め、私の成長が仕事の発展に直結します。一理ある・・・よし!(笑)
いずれ行くからには、最大限、得られるものを得て帰ってきたいと思います~。
あまり日常的にテレビを見ない私ですが、実家に用事があって行ったもんで、たまたまニュースなどを見てまして・・・え~、宮崎駿さん、引退するんだ~。。。と。
それなりに理由があるでしょうし、宮崎さんの選択ですから、それ自体にどうこうということはないのですが、でも、やはり残念だな~なんて思いながら見ていました。そして、会見での発言の中の、この言葉・・・。
「この世は生きるに値するということを伝えたい・・・」
身体の血の流れが速くなる感じがしました。「伝えたい」だか「感じてほしい」だか、語尾はなんだったか忘れてしまったのですが、「この世は生きるに値する」って・・・すんごい。この身体の奥にぐっときた感じは、なかなか言葉で表しにくいのですけど、ホント、何ていうか、すんごい・・・。
これを聞いて、過去の作品の場面がふわふわっと浮かんできたりして。ナウシカの言葉とか・・・。個々の作品には、それぞれ色々なメッセージが込められているのだろうと思います。ご本人が意図したメッセージが私にも伝わってきている場合もあるでしょうし、私なりに感じ、解釈しているとこともあると思います。でも、奥にはこんなに強くて深いメッセージが込められていたんですね。
「この世は生きるに値する」・・・か。
はっきり認識していなかったとしても、心のどこかでそう思っているから生きていられているわけで・・・。でも、はっきり言われると、そっか・・・そうだよね、って、私は思ったわけで。ホント、力強い。
「この世は生きるに値する」
そっか、そうだよね。
来週から、新講座の「ロジカル・シンキング講座」が始まるのにあたり、執筆家のようになっている今日この頃・・・。
もちろん毎度のことですが、新しい講座を企画すると、テキストの作成をほぼゼロからすることになります。関連書籍をひっくり返し、重要な箇所を抜き出しながら、私なりの理論体系の構成を考えていくわけです。それ自体、大変であるのは間違いないのですが、乗ってくると?筋道が見え始めると?とでもいいましょうか、いくらか楽しくもなってきます。「ロジカル・シンキング」の講座をプログラムするのに「ロジカル・シンキング」フル稼働ってところです(笑)。
今回、あれこれ読んでて面白いな~と思ったことが一つ。「ロジカル・シンキング」「論理的思考」っていうと「難しそう~」「大変そう~」みたいな感想が多いですよね。ひどいと「吐き気がしそう・・」なんて言う方もいたりして・・・(汗)。でも、そもそも論理的思考とは、複雑で理解するのが難しい物ごとを、より簡単に明確に理解するためのものです。
私の講座を受講された方の感想として、「わかりやすい」と言っていただけることが多いです。それは、かつて研究の仕事をしていた経験がベースとなって、私の講座の組み立てや説明が、比較的、論理的だからだろうと思います。私自身は、そこまでロジカルに・・・と強く意識をしているわけではないのですが、論理思考が習慣化されているんでしょうかね。
で、何が言いたいかというと、すなわち物ごとを論理的に説明されるとわかりやすい、わけです。でも、論理的思考は難しそう・・・って。なぜ? はたして本当に難しいのでしょうか~?
そのへんの命題に、水面下でチャレンジしてみたいと思います(笑)
いや~、一ヶ月の振り返りブログになっている昨今です・・・。
先日、岩手医科大学で研修をしてきました。そう、私の古巣、元勤め先です~。
私が勤めていたのは8年半前まで・・・矢巾のキャンパスができる前です。その後、矢巾のキャンパスが建って、教養部が移り、薬学部もできて・・・現在では、私が所属していた基礎医学の研究室も矢巾に移ったと聞いています。それを考えるとあれから随分と時間が経ったのだな~と思います。
今回の研修の対象者は医学部ではなく薬学部の先生方で、厳密には少し違いますが、自分が元いた職場の方々に研修をすることになるなんて、感慨深い・・・。しかも、以前の伝でいただいた仕事ではなく、全く新しいルートからのご依頼でして、私も多少は名が知れるようになってきたんだな~なんて、自画自賛・・・(笑)。こういうのを故郷に錦を飾るというのでしょうかね~。
そもそも、私がこの仕事に転向する大きなきっかけになったのは、岩手医大の学生教育に携わったからです。学生の頃は「先生」と呼ばれる仕事は絶対に就くまいと思っていたのですが、気がついたらそんな道を歩んでました。まさに今回、大学の先生方に「コーチング」を学生教育に取り入れていただこう、という内容で、重ね重ね、本当に感慨深い・・・です〜。
コーチングの仕事を始めた当初から、医療従事者、特にも「医師」にコーチングを取り入れてほしいという願いがありました。それをあまり表に出してはきませんでしたが、いよいよ夢見てたことに取り組める可能性が出てきて、期待感が膨らみます。楽しみですね~。
さて、わくわくしているだけではいかんですね。
さらに研鑽していかなければ・・・(微笑)。
またまた久しぶりの投稿になってしまいました。。。
7月も今日で終わり、近頃は、あっという間に日が過ぎていく感じ~。。。
この2ヶ月、殺人的忙しさでさすがに心から休みたいな~と思ってしまいました。
その忙しさがようやく一段落した一昨日、実は私の誕生日でして、最近ではFacebookなど気軽にやり取りできるツールが増えていることもあり、本当にたくさんの方からお祝いのメッセージをいただきました。さらに、昔から変わらずメールをくれる友がいたり、誘ってくれる友がいたり、講座関係の方からお葉書をいただいたりとか、いろいろな関係性に支えられているな~と、ホントありがたいなと思います。
昨年は、ちょうど誕生日の前日に父が他界して、全く誕生日どころの話ではありませんで・・・(汗)。先日一周忌の法要をして1年前のことを思い出したりしていたのですが、あ~まだ1年しか経ってないんだと思ってしまいました。逆に、もっともっと随分前のことのように感じていたわけで、それはそれでいいのかなと。。。
自分の誕生日の前日が父の命日。奇しくも生と死を強く意識せざるを得ない巡りになってまして・・・。もともと父は「いかに生きるか」生き方というものに負荷をかける人間でしたが、命を終えてもなお「心して生きよ」と言われているようなんですけどね~。。。まあ、いつもいつもだと疲れてしまったりもしますが、年に一度、生きる意味や意義、人生について深く考える機会にすると思うことにしますか~(笑)。
てなわけで、明日から8月。盛岡では夏の祭りの「盛岡さんさ踊り」が始まります!
今年は4日間フル参加します~。るん♪
先日、母が突然「蓮の花が咲いたようなので見にいきたい!」というので、行ってきました~。
どこに?なのかといいますと、岩手大学の農学部にある「池」・・・。たしか名前が付いていたと思いますが、私は岩手大学で6年も過ごしていたのにも関わらず忘れてしまいました・・・。梅雨の時期になるともの凄い大量のカエルさんが出没するってのは覚えているんですけど~。。。
実は、私の母も岩手大学農学部の出身で、そんなこともあって農学部の池の蓮の花が咲きましたってニュースを見て久しぶりに行ってみたくなったんですって。私と母は人生の中の同じ年の頃を同じキャンパスで過ごしているわけで、ニュースみてそんな気持ちになるのもよくわかるのです。さらに、特にも私の母はかなり自律した人で、あまり人を頼らないというか、私に頼みごとをするのも珍しいのですが、そんな母が「私を池に連れてって~」というもんだから、「合点承知!」と言いたくなるわけで。
前置きなのか、本題なのかがわからない内容が長くなりまして・・・、こちらが「The 蓮の花」。いや・・・「蓮の花 s」か? 結構たくさん咲いてて、白単色、赤グラデーションのほかにピンク単色のものもあったのですが、写真を撮り忘れた~。蓮の花は、お釈迦様が乗っているお花なわけですが、さすがに私が乗ったら沈む大きさです。。。
お花を見ながら、写真を撮ってFacebookに上げたりしていたところ、「お母さんはFBだと見れないから、ブログに上げてちょうだい〜。」とまたリクエストが・・・。「はいよ~」
現物を見ているんだから、ブログで見る必要性があるのかしら?という疑問にはだいぶ後になって気がついたわけですが、最近、ブログへの投稿が遠のいていて再開するきっかけを失いかけてたので、母のお陰でよい機会でした。