今週は、福祉施設での研修のご縁をいただきまして、岩手県沿岸の最も南の街、陸前高田市に行ってきました。気仙地区の研修はわりと入ってましたけど、開催場所が大船渡になることとがほとんどで、陸前高田に来るのは久しぶり。調べてみたら、3年半ぶりでした~。
陸前高田市は、東日本大震災では岩手県の中で最も大きな被害を受けた街の一つです。思い起こせば・・・当時、私は発災から10日ほど経った頃に岩手県沿岸南部の被災地に行きました。そのときは、具体的に被災地がどんな状況で、どんな支援が必要なのかを知るため、そして、私自身がどのように関わっていったらいいかを考えるために行ったわけですが・・・
山側に押し寄せられて高い壁のようになっている瓦礫。
削り取られるように何もなくなった市街地。
中が空洞になって痛々しく骨組だけ残る鉄筋の建物。
偉そうにどんな支援ができるかなんて思って来たけど、なんとおこがましいことか。これからどうしたらいいのか考えることもできずに、たぶん駅のホームだろうと思われるコンクリートの上でただただ呆然と360度に広がるその光景を見ていました。
当時の写真をあらためて探してみたけど、ここの写真は見つからなかった・・・。あまりの光景に撮ることができなかったんだね、私・・・。
この光景を見たあとに思ったんです。この街をこれからどうしていくかなんて、この街の人にしか決められない・・・。この街に暮らし、そしてこれからも暮らす覚悟のある人じゃないと。この街が未来に対してどのような選択をするとしても、私にはどうこう言うことはできないなと。
その後、微力ながら自分のできる範囲での支援をしたつもりですが、この時の思いが根底にあり、必要なことは何か、自分ができることは何かを考える基準になったように思います。
それから5年半・・・。
研修をした翌日に時間があったので、未来に向けてある選択をして進む、この街の今を見てきました。
陸前高田では、高台移転と、平地のかさ上げのための盛り土工事が進んでいます。
むしろ震災直後のほうが以前の道路がある程度残っていて、多少はどこに何があったのかその面影くらいはわかりましたが、現在は大規模な盛り土が進み、道路の位置も新しくなっていて、街の造り自体がすっかり変わっていく感じ。道路は、工事用の大型トラックがびゅんびゅん走ってます。
今回泊まったキャピタルホテル1000も、海岸沿いの場所から高台に移転してリニューアルしました。
気仙川の河口では、大きな吊り橋を建設中。
ここに至るまでも、当事者でなければ決してわかり得ない、本当に様々なことがあったんだと思う・・・。もちろん、住民全員が賛成しているわけはないでしょう。生まれ育った街だから住み続けたいと思う人もいる。こんな怖い思いをしたところになんか住みたくないって思う人もいる。この街に住むとしても、津波の来ない高台がいいという人もいる。そうは思っても、先祖代々の土地だから簡単には手放せない人もいる。そして、経済的なこと、仕事や職場のこと、年齢や家族構成など、本当に人それぞれ様々な事情があるんだろうと思います。
そんな、この街に関わる多くの人の思いを受け入れる気持ちで、ただ静かに見て回りました。
小さい頃に海水浴に来た高田松原も、学生のときにテニス部の合宿をした野外活動センターも、ドライブ途中で寄ったモスバーガーも、今の街にはないけれど、当時の思い出の価値は変わりません。そして、今も昔も、この街に暮らす人の人生も価値あるものだし、これからの街の可能性は未知数です。
この街に暮らす人を応援しながら、見守っていきたいと思います〜。
当時のことを思い出しながらで、長めの投稿になっちゃいました・・・。
奇跡の一本松は、昔の野外活動センターの近くだったんだね〜。