明日、震災後、初めて就職ガイダンスの仕事があり、横手に来ています。震災以降、岩手、宮城のガイダンスは全部中止になり、今シーズンはもう入れないかな~と思っていたのですが、最後に1度だけでも入れてよかったです。
そう、思い起こせば、地震のときは北上で就職ガイダンス中だったんでした。60名ほどの高校生と一緒に。それを思うと感慨深いです・・・。復旧したこまちと奥羽本線を乗り継いで横手まで来ましたが、電車も震災前以来です。
自分の生活がちょっとずつ元に戻っていく一方で、津波の被災地は・・・。
これまで、盛岡で物資輸送の後方支援をしてきましたが、水曜日に、初めて現地に行きました。釜石から南下して、大船渡、陸前高田を回ってきました。マスコミのカメラが入り、現地の光景はずいぶん報道されていますが、特にも陸前高田の状況を見た時の感覚はなんと表現したらよいのか・・・。。本当に街一つが丸ごと何もなくなっている・・・。そして、今は穏やかな海・・・。悲しみとか恐怖とか、そんな感情が湧きあがるよりも、感情が丸ごと持っていかれるような・・・。津波に街が持っていかれたように・・・。
これまで、ニュースから流れてくる映像を見て、現地を思い、とにかく私にできることは何かとあれこれ考えながら過ごしてきました。そして、物資を送る活動も、親切の押し売りになって逆に迷惑にならないように、現地の情報を細かく取り、その要望に合うものだけを届けるということに心を配りながら行ってきたつもりです。でも、現地に行って、何にもない光景を見て、ただただ被災者が必要な物資を送っているだけでは、復興支援にはならないと感じました。
あの光景を見て、住民の方は何を思うだろう・・・。今はあまりに苦しくて、見ることすらできない人もいるだろう・・・。悲しみで泣き崩れる人もいるだろう・・・。茫然と立ち尽くす人もいるだろう・・・。そのあとは・・・。自分の大事な人を探しに行く人もいるだろう・・・。自分の思い出の品をがれきの下に拾いに行く人もいるだろう・・・。避難所で辛い時間を過ごす人もいるだろう・・・。辛い気持を紛らわすために他の人ととにかくお話しする人もいるだろう・・・。せめて他の方の役に立てればとボランティアを始める人もいるだろう・・・。すでに友人知人を頼って他の場所で避難生活をしている人もいるだろう・・・。誰が強いとか弱いとかではなく、すべての人が間違いなく自分と闘っていると思います。
状況としてあまりに過酷。もちろん、今後はさらに周りの支援、援助も大いにいるでしょう。でも、あの街を見て、街をどのように復興したいかは、その街の人にしか決められないと思いました。すでに死者、行方不明者が多数出ている中で、今後、他の街に移住する人も多く出てくるかもしれません。産業が復興しなければ雇用がありませんから、生きていくためにはそれも仕方がないことです。残った人でも、元の通りに街を戻したいと思う人もいるでしょう。あるいは、流された地域には絶対に建物を建てたくないと思う人もいるでしょう。住民の数だけ、それそれの考えや思いがあるはずです。そして、どんな選択をした人も、責められるようなことは何もないと思います。
そのようなことを肌で感じて帰ってきました。
今後も支援の活動は続けますが、現地を見るまでは、何かしなきゃ、何かしなきゃという思いばかりが前に出ていたような気がします。今は、まず、自分がしっかりと立つことの大事さを感じています。