この災害で、自分を責めてしまっている人がたくさんいるような気がする。
地震のあと、友人の助けで盛岡に戻れた私が、まず心に決めたこと。こんなに困難を抱えた人が膨大にいるなか、私自身がなるべく人様の迷惑や負担にならないようにしよう。仕事、生活全般において、まず自己責任、自己完結。
そう思い、ガソリンを節約しながら自転車でスーパーを回る。そして、スーパーの長い列に並ぶ。そこで、ふと思う。私はこの並んでいる人たちと争っているのではないか?私が並ばなければ、もう一人、食糧を得られる人が出るのではないか?
最初の3日間くらい、消息不明な知り合いの命を案じながら、自分の命さえ投げ出さないと申し訳ないくらいな心境になってみたり・・・。支援のために何もできない自分を情けなく思ったり・・・。でも、やっぱり自分は生きていかなきゃいけないしと言い訳するように、先を争うように必要なものを探して回る自分もいたり・・・。
そんな状態でいるときに、陸前高田のクライアントさんが生きているという情報が入った。まだ未確定な情報でありながらも、なんだか一筋の光が見えたような気がして、今、自分にできる支援をしていこうと思った。気持ちはね・・・。
手探りだけど、仲間と実際に動いてみて、いくらかでも自分にできることがあると心理的に軽くなるのを感じた。でも、その一方で、できることの小ささを知り無力に思ったり、自分が安全な場所にいながらにして支援をしていることを卑怯に思ったり、やっぱりそんな心境も湧き上がる。
私はまだ現場に行っていないが、現場で支援している人は、こちらでは想像を超える心理でいることだろう。そして、被災者の人はもっと・・・。地震の日、こうしていれば、ああしていれば・・・。あの人にああしていれば、こうしていれば・・・。
自分を責めても何も変わらない。頭ではわかっている。でも、沸きあがる、「どうしてこんなことになったんだろう・・・。」「どうして何もできないんだろう・・・。」わかっているはずなのに・・・責める問いかけが浮かんでくる・・・。
きっと、今、そんな人で溢れいてるだろうと思う。
みんな、自分を責めないでほしい。
必死に生きている。必死に誰かの命を守っている。誰かのために自分の命の時間を使っている。自分ができることをしている。自分のものを提供している。何かを我慢している。誰かを応援している。誰かを心配している。
誰のせいでもない。みんな頑張っている。それぞれ十分頑張っている。大丈夫。
そこから始めよう。
自分に言い聞かせるメッセージ。