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《コーチング・ブログ》--------岩手県盛岡市在住のパーソナル・コーチ 平野順子が、コーチングやセミナーの活動を通して、心に触れたこと、目に留まったものを、徒然、気ままにお伝えします~。
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先日、専門学校で講義したとき、生徒たちが、くっと顔をあげた瞬間がありました。

それは、「主体」についての説明をしたとき。以前、読んだ本の内容が頭をよぎりました。

砂上の楼閣(サンド・キャッスル)
ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く拳を伸ばして城壁の足元に達し、石組みを模した砂粒を奪い去る。吹き付ける海風は、砂の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えていない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見える。
~「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著(講談社現代新書)より~

これは、生物の動的平衡を比喩的に表した部分ですが、なんとも、その通り。生物の体は、砂粒に例えられていますが、様々な元素によって形作られています。炭素(C)とか、酸素(O)とか、窒素(N)とか。そしてこれらは、あるときに「私」という人間の構成要素であったとしても、代謝によって、ある程度の期間で対外に排出され、大きな意味では、地球全体を循環します。ときに大地となり、ときに空中を漂い、時に他の生物の構成要素になり、また、どのくらいの確率かはわかりませんが、自分自身に戻ってくる可能性もあります。

構成する要素は、常に置き換わっているのに、老化こそすれ、「私」という人間は変わらずここにいる。元素は抜け落ちても、記憶は抜け落ちることはない。「私」という人間の「意識」は他の人に流れていってしまうことはないのです。それこそが「私」という人間の「主体」・・・。

「主体」の説明として、適切かどうかはわかりませんが、これって、ホント、面白いというか、不思議というか・・・。そんなふうに私は思っていて、そのまま話をしたら、学生さんも食い入るように話を聞いてくれました(笑)。

コーチとして、カウンセラーとして、人間を心理学的、哲学的に見ることが多くなっている現在ですが、以前は、医学的、生物学的にヒトを見ていた私・・・。複合させると、とっても面白いことがわかるような気がしている今日この頃。やっぱり生命って神秘的で、面白い~!

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無題
 行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 お話を聞いたときに「空(くう)」だね!なんて話しましたが、今回のエントリを拝見していて、養老孟司さんの「バカの壁」にも同じようなことが書いてあったことを思い出しました。
 ところで、「生物と無生物のあいだ」は福島伸一さんではなく、福岡伸一さんですね。それで、福島伸一さんをググるとお写真が出てきますが、何となく養老孟司さんに似ています。似てない?どうでもいい?
たむ 2010/05/10(Mon) 編集
無題
たむさん

ご指摘ありがとうございます~~。
その通り「福島」さんではなく「福岡」さんです。
謹んで修正させていただきました・・・。

「バカの壁」は私の本棚にも並んでいます・・・。
これは、本棚の肥やしでははく、一度は読んだはずで・・・(汗)。

万物は流転するが、「万物は流転する」という言葉は流転しない。
なるほど・・・。

情報そのものの価値、・・・もあると思いますが、
いつ、どういうタイミングでその情報が入ってくるかも大事ですね・・・。
勉強になりました~。


平野順子 2010/05/10(Mon) 編集
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