「街もりおか」No.541 (2013年1月号)に掲載していただいた寄稿文です。
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「山があって川がある」 平野 順子
「山があって川がある街、盛岡」
生涯、盛岡に暮らした私の父がよく使っていたフレーズである。
私の父は、とても盛岡を愛する人であった。ほかの地域に住む知人に盛岡の魅力を熱く語り、とにかくぜひ一度盛岡に遊びに来てほしいとよくお誘いしていた。そして、父の強い誘いで盛岡を訪れたお客人は、1日いっぱい街を歩いていただくことになる。父なりに、盛岡を堪能できるスペシャルプランがあったのである。
お決まりのコースは、盛岡駅から開運橋を渡り北上川と岩手山を望む。大通りを歩き、盛岡の繁華街を知っていただく。そして、映画館通りをその名前の由来を語りながら歩き、菜園に出て「これが盛岡で一番大きなデパートだよ」と紹介。そのまま盛岡城趾公園に向かい、その石垣の迫力と荘厳さを体感していただく。さらにジグザクな動きになるが、公園下から中央通に抜けて石割桜を見ていただき、栃の木の並木を歩きながら官庁街を紹介、鶴ヶ池、亀ヶ池や桜山神社の由来を説明しながら中ノ橋に抜ける。旧岩手銀行本店や、時間があれば啄木・賢治青春館をご覧いただき、八幡通から八幡宮、その向こうの岩山を望む。そしていよいよクライマックス、中ノ橋から上ノ橋まで川辺裏を遡りながらゆっくり散策する。
父曰く、盛岡の街の匂いを嗅ぎ、風を感じてほしいということなようだが、私からすると「連れ回す」に近く、まあまあお疲れになり過ぎて盛岡を嫌いにならなければいいが、と心配になる。一応、父なりの気遣いもあって、時間帯やお腹の減り具合もみながら、途中で盛岡三大麺のいずれかを堪能、疲れ具合に応じて父がお気に入りの喫茶店に立ち寄ったりする。 お客人はお疲れにならないわけではないと思うが、父の盛岡を愛する熱い思いが勝るのか、結果として、どの方にもたいそう盛岡を気に入っていただける。
このようなことが何度かあって、気がついたことがある。父のスペシャルプランのポイントの一つは、岩手山と北上川をお見せしたあとで、岩山と中津川をお見せする、という点である。季節折々で違う顔を見せる岩手山と北上川は、よく観光パンフレットやポストカードに使われるが、晴れた日に開運橋や朝日橋から望む岩手山と北上川はなんとも雄大で、見る人の心を洗いエネルギーを与えてくれる。まさに多くの人にとっての故郷の山、故郷の川であり、山があって川がある街、盛岡をより強く印象付ける存在であろう。
しかしながら、幼少時代を八幡町で暮らした父は、夏は中津川で泳ぎ、冬は岩山でスキーをしたそうで、自分にとっての故郷の山は岩山であり、故郷の川は中津川だと語っていた。当時はスキー板を担いで岩山に上り、最後には家の前までスキーを履いたまま滑って帰って来れたのだとか。父は中津川縁の小道をよく散歩コースにしていたが、柵がなく石垣で作られた護岸、緑溢れる川原、そして川縁の小道の柳などの風情あるたたずまいが大好きであった。晩年、利便性から盛岡駅の近くに居を構えていた父は、日々岩手山と北上川を眺めて暮らしていたが、その雄大さにはもちろん心躍らせながらも、どこか幼少時代の心象風景を思い出していたのではないだろうか。
かく言う私も、小さい頃はベランダから岩山を臨む家に住み、中津川を渡って学校に通っていた。父と同じく私にとっても、故郷の山は岩山であり、故郷の川は中津川かなと思う。そんな私には、雄大な岩手山と北上川のあとに、実は盛岡にはさらにこんな素敵な山と川がありますよと岩山と中津川をお見せしたくなる父の気持ちがなんとなくわかる気がする。
私にとって、父との思い出が重なる山があって川がある街、盛岡である。