数日前あたりから新型コロナウィルスの感染者数の増加率が上がっている感じがしていて心配していたら、一気に増えちゃって・・・。岩手でも感染者が滞在していたらしく、ついに来たかという感じだし・・・。なんともドキドキします。私がドキドキしてもなんの足しにもならんけど。
ここのところの政府のコメントやニュースなどの放送を聞いていると、これまで使っていた外来語(カタカナ)をできるだけ日本語にして表現するようにしているみたいですね。「クラスター」を「集団感染」とか、「オーバーシュート」を「感染爆発」とか。英語を日本語にする際、100%合致する単語がなかった場合に、間違った意味で伝わるくらいならカタカナでって考え方もあるとは思いますが、今の状況を考えると、100%正しいかよりは、伝えたいことをより感覚的に、たとえばその重大さの度合いのようなものがそのまま伝わるかのほうが重要だと思うので、この表現の切り替えはい良いんじゃないかなと思っています。そもそも「オーバーシュート」なんて私も初めて聞いた言葉で、意味不明すぎて正しいも何もわからず・・・。ご高齢の方々なんかなおさらですもんね。
もっと言うと・・・。コーチングやセラピーでは言語的なやり取りもとても大事で、私もそれらの勉強やトレーニングもしますが、その中に「名詞化」という言語表現があります。例えば、「感染する」というのは動詞ですが、その名詞化が「感染」。このへんも感覚的な話にもなっちゃうんですが、「感染する」という動詞は、動詞なだけに動いている、あるいは時間経過とともに変化をするプロセスである感じがします。でも、「感染」と名詞化して使うとその動的感じが弱まり、「感染」というある固定化した事象が存在している感じだったり、「感染」という物体を客観的に見ているような感覚を引き出してしまったりします。
すなわち、今、市民にもっと現状をリアルに理解してもらいたかったら、あまり名詞化せずに、動詞のまま使った方が効果があるだろうと思うわけです。たとえば、「感染爆発を阻止したい」と言われるより、「爆発的なスピードでに広範囲の人が感染していくことを防ぎたい」と言われたほうが、自分自身にその危機が迫ってくる感じが伝わってきます。名詞化した方がコメントとしてはスマートになりますが、今、この危機においてはできるだけ動詞を使って具体的に表現をした方がいいのかなと思います。
なんて・・・ぼ〜っとしているとただドキドキして不安になるだけなので、ただ言語的に分析してみただけ・・・。なんの真意もありません。第一線で奮闘している方々にお任せするしかない、無力な私・・・。
今はひたすら祈ってます・・・。