今日から週末は東京です。半年間ほど月に1回通っていたNLPプラクティショナーコースの再受講も今回で最終回。
今回の講座では、NLPの視点を取り入れて日常を過ごしてみての体験レポートってのを毎回、提出せねばならないのですが、今回のレポートに書いた小ネタをここでもご紹介しますね〜。
先日、「マチネの終わりに」という映画を見てきました。福山雅治さんがクラシックギタリスト、石田ゆり子さんがジャーナリストの役で、恋に落ちる、という物語。私の好きなお二人の俳優さんが出演しているということと、そんなお二人が配役されるような映画なんだから、それはそれは素敵な映画に違いない!という理由で、こりゃ映画館に行かねばなるまい・・・と。
映画の中で、心に残った福山さんの台詞があります。台詞といっても一言一句覚えているわけではありませんが・・・。
― “変えられるのは未来だけ”というけれど、未来によって過去も塗り替えられていくのではないか -
たしかこんな感じの台詞です。この台詞が出てくる背景として・・・ 石田さんが小さいころにおままごとをした実家の庭の石があるのですが、先日お祖母さんが転んでその石に頭を打って亡くなってしまった。その出来事によって、せっかく楽しかったおままごとの思い出までなんとなく悲しいものになってしまったように感じた。・・・というお話。
”未来によって過去も塗り替えられていく”・・・たしかに〜〜。言われてみれば、ここまで大きな変化ではなくても、このような過去の書き換えは日常的にたくさん起こっていますね。NLP的に説明すると、その過去の体験の五感でキャッチできるより細かい要素・・・例えば、明るさ、彩度、温度、重さ、音の大きさ、みたいなものですが、これが新たな体験に影響を受けて変化をする、ということになりますね。この五感でキャッチできるより細かい要素のことをサブモダリティーといい、個々の体験のサブモダリティーが、その体験の捉え方と密接にくっ付いていると言えます。
ちょっと難しくなっちゃいましたかね・・・。
いずれ、何が言いたいかと言いますと・・・、意図的ではないにせよ、これからの未来の体験がこれまでの過去の捉え方を変えていく、言ってみれば過去は変えられるということに、人生の可能性をより強く感じますね。そして、NLPのアプローチを用いることで、それを意図的に?肯定的に?変えることができるということになります。
というわけで、映画のストーリーとは全く関係ないレポートなわけですが、映画の感想は気が向いたら書きます(笑)。